5 janvier 2008

あらすじ

19世紀後半、フランスと東方の果ての国、日本は急激な社会の発展の中、その距離を縮めつつあった。その時代、パリでは万国博覧会が開催され、日本では明治政府が、痛みを伴いながらも新たな歴史の一ページを開いていた。文明開化。多くのお雇い外国人が海外の技術を伝授しながらも、彼ら自身、日本の伝統文化に開眼していた。その伝聞はすでにヨーロッパを駆け抜け、西の国々はジャポンの芸術美に強い関心を抱いていた。

ピンと張られた一本の綱。その上を厳かに歩むこと。バランスの一瞬、一瞬をつづる綱渡りの芸に見せられたフランスの少女がいた。名はNEIGE(ネージュ)、その名の通り、雪のごとくふわりと綱の上に舞い降りた彼女の技は、見る者をとりこにした。少女は成熟し、二つの乳房と一つの魂を持った女が、真っ白な無に帰り、空中を渡り行くさまは世界中に知れ渡る。しかし誰も彼女の心の闇を知らない。

人を数え切れないほど斬り殺した武士は、その血の日々に決別を告げた。徳川家の名士の名を捨てた男、狩野。彼の心にわきおこる芸術への強い思いは、彼の残りの人生を美の追求に捧げるために充分値するものであった。そして彼の前に、完全に美しいものが現れる。桜舞う空の下、見たこともない輝きの髪の毛をそよがせて、一人の白い女が宙にとまっている――集中する澄んだ瞳は狩野を驚愕させた。大地を踏みしめることしか知らなかった男が、大地と空の間にも美しさの可能性が広がっていると知った瞬間だった。彼はその女の足先に近づく。言葉少ない男の身ながら、自然につぶやいていた。
「あなたこそ私の探していたお方だ」

かつてない温かく真っ直ぐな愛情にネージュは溶けた。異国の地で、異国の男に愛される喜びは、綱渡りの芸術によって振り落とされた、余計なしがらみや邪念を持たないネージュがただの女になれる安息でもあった。狩野の愛情はネージュをしっかりつかみ、それは彼女が培ってきたバランスの一点を代わりにまかなってくれた。筆を持った狩野も異国の女を愛することで、自らの和の芸術を再認識するとともに、ネージュが教えてくれた新しい美の世界に踏み込んでゆくことができるのであった。やがて、女児が誕生する。彼女こそ両親の美を受け継ぐ存在、やがて別れと出会いを体験するのであろう。

 母としてまた成長したネージュは、その肉体を再び綱の上に置くことを予感する。家族という温かなところから、一人の女としてたたずむことの出来る静寂の地、それがネージュにとっての綱の上であった。人間誰もが持つ混沌や葛藤をおもりにしてこそ突き詰められる平衡、ゼロの世界。

 ネージュの最後の舞台は、大勢の人が見守るセレモニーとなった。真っ白い雪山の高みに張られた綱の上。ここに数奇な運命をたどった女が立つ。彼女の白い肌に冷やされた風が吹きつける。しかし、彼女の心はやわらいでいた。闇と光。静止と開放。嫌悪と愛情。この世界の二面性における彼女の結論は、綱の上でバランスをとることであった。大いなるバランス。ネージュ自身の平和はそのかけがえのない一点だった。雪の世界の真ん中で彼女は「そこ」に行き着いたのか。次の瞬間、その肉体は雪山の間に墜落していった。絶頂と落下。ネージュは永遠になった。

 時代が少しずつ移り変わる。

 北国。雪に魅せられた少年がいた。名は響。彼は詩人を志していた。雪に埋もれるようにして作品を書くが、その若い情熱はときには雪も溶かしてしまうほど荒削りなところもあった。性の目覚めと、それとは反対のところにあるきれいな詩の源。彼もまた葛藤する芸術家の卵に違いなかった。ある日、響の作品を偶然読んだ役人がはるばる訪ねてくる。同行していた女性のたたずまいに、あらわな恋心を抱いてしまうが、宮廷の芸術指南役として深い審美眼を備えた彼女にはおよびもつかない。未熟な自分自身に絶望し、打ちひしがれる若き魂。しかし、魂は傷ついてさらに清らかになる。それを痛みの中で知った響は、本当の詩人になるべく、遠い地にいるという偉大な老芸術家のもとで学ぶ決心をするのだ。
 過酷な旅は響の身体を強靭なものに仕上げてゆく。彼が心を奪われた、あの美しい女が彼の心をかすめる。大自然の真っ只中で、孤独には違いないが、ある種の予感が響をさらに覚醒させる。

 響は万年雪にも近い雪山の狭間で道をふさがれていた。吹雪の中、滑り降りた氷の連なり。光ってみえたそれは女の姿をしていた。氷の中に見たこともない色の髪の毛を広げ、曲線を描いた白い肢体の女が横たわっていた。その瞳は澄み、やわらかな微笑をたたえて響を迎えているようだ。ふっくらと凍りついている乳房のもとに、響は疲れた体を休めた。夢。正夢とも予知夢ともつかないそれは、響と彼の将来を温めてゆくのだ。

 老芸術家、狩野は響に初めて会ったとき、まさか彼が行方不明になったままの妻、ネージュの行方を知っていようとは考えもしなかっただろう。狩野は全盲の頑なな老人に成り果てていた。唯一彼を支えていたのは、芸術へのあくなき情熱であったが、それももはや最後の灯火になっていた。月日が過ぎ、狩野は修行に耐えた若い芸術家を認め、彼から驚くべき事実を打ち明けられるのだ。一方、響も恋焦がれている女が二人の娘だと知り、自分が彼女にふさわしい男になったかどうか戸惑う。狩野、響、年の離れた芸術家が、ネージュの眠る雪の中にそれぞれの答えを探しにゆく。

 永遠の詩とは何だ?
 ものを書くことは言葉から言葉を、美しさの糸の上に進めていくことだ。
 バランス。
 人を愛することも。

 ネージュが教えてくれる。

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